『貧困と脳』読了。
いろいろと考えさせられる本でした。
私見も交えながら、自助、共助、公助の観点で、内容をまとめてみたいと思います。
自助
著者も配慮していますが、貧困が因果応報としての自責であるという考え方は、私も反対です。
本人が判断を誤ったこともあるでしょうが、それ以上に環境が大きいと思います。
一方で、現状を受け入れ、どのように生きていくのかを決めるのは本人しかいないと考えます。
例えば本書では生活保護についても触れていますが、自殺するくらいなら申請しようと考えるのか、周囲に知られるのが嫌で申請しないのかは、本人次第です。
共助
ただし、本書で言及されているように、障害などによって適切な判断ができないこともあります。
日常生活や社会生活を送るうえで、困難なことも多々あります。
これに関しては、程度の差はあれ、多くに人が何らかの困難を抱えているのではと思います。
そこで、周囲の助けが必要になるのですが、その第一歩は「気づく」「受け入れる」です。
簡単なことのようで、これも運要素が大きいと思います。
例えば、虐待が行われている家庭では、受け入れてもらえることがありません。
本書では、その人の特性に合わせた働き方の必要性が訴えられていましたが、実現するためには複雑なパズルを解くような調整が必要です。
それだけのことができる人材がいるのか、特性に合わせた業務を用意することができるのかは、現実論として難しいことも多いと思います。
一方で、ITやDXで解決できそうな問題もありました。
本書では、記入用紙の情報量が多すぎて対応できない事例も紹介されていました。
これなどは、タブレットでひと項目ずつ順番に入力していき、最終的にフォーマットとして出力すれば、対応できそうです。
同じ悩みをもつ人とつながるということも、SNSを活用すればできそうです。
設計は難しそうですが、不可能な課題ではありません。
公助
最後に公助ですが、これは意見調整の難しさがあります。
自分で判断することが困難な人が、行政が口座を確認して一定基準に達したら、生活保護の申請を自動的にして欲しいという意見がありました。
便利そうですが、マイナンバーカードのように行政が個人情報を扱うことを嫌う人もいます。
こうした意見をどのように調整していくか、社会全体の理解と譲り合いが課題です。
少し寄り道しますが、自動申請については、口座の管理などをあらかじめ申請制にすれば良いとも考えられます。
しかし、そのような申請を自分の意思でできるのであれば、そもそも生活保護などの申請もできると思います。
元気なうちに済ませるということも考えられますが、問題がないときには、そのようなことは考えないのではないでしょうか。
閑話休題。
意見調整をするうえで大切なのは、本書でも指摘されている通り、対決構造を作るのではなく、人と人として向き合い、対話を重ねて、信頼関係を築くことだと、私も思います。
選挙に関わると思うのですが、対立構造は分かりやすくても、建設的な議論になりません。
異なる意見と接したときに、自分の正しさを主張してしまうと、どちらが勝つかというゲームになってしまいます。
どのような考え方や制度にもメリット・デメリットはあると、私は考えています。
その中で、何が最適なのか、最も納得がいくのかは、お互いに理解をしあい、歩み寄るしかないと思います。