ショーン・フェイ (著)『トランスジェンダー問題』を読みました。
読み進めるにあたって、この解決は一筋ではいかないと、何度も頭を抱えてしまいました。
トランスジェンダー(以下、トランス)の方を非人間扱いしないということは、当然ですしすぐにでもできます。
しかし、そこからさらに進んでいこうとすると、たちどころに難しくなってしまいます。
既存の対立や社会保障の問題に、斜めに串を刺すような形で、問題が複雑化してしまうからです。
以下、私なりに問題点をまとめてみたいと思います。
なお、本書を読んだうえでの私見ですので、認識違い等がありましたらご指摘ください。
新たなカテゴリー対応
既存の男女の枠に当てはまらないので、トランスという新たなカテゴリー対応をしなければいけません。
すでに男女間での対立がある場合には、第三極となるのか、既存の勢力と協働するのかは難しいところです。
また、トランスの方は既存の枠組みに当てはまらないとなると、個別の対応か新たなカテゴリーを創出して対応する必要があります。
既存のシステムのコスト負担だけでも大変な状況で、そのコスト負担が社会的にできるのかは、現実問題として悩ましいところです。
情報の少なさ
トランスの方をメディアなどで見かけるようになったとはいえ、まだまだ接触する機会は少ないです。
そのため、トランスの方に対する情報が少なく、どのように接するべきなのか判断に困ることがあります。
相手のことをよく知ろうと思ったら、相手の背景を理解しなければなりません。
しかし、自分のことを根掘り葉掘り聞かれるのは、私でも気持ちの良いものではありません。
トランスとして苦労されている方であれば、なおさらだと思います。
本書のような体系化された情報は非常に助かりますが、どのように情報を引き出して、まとめて、発信するのか、それを誰が行うのかは、難しい点です。
経済問題
本書では、トランスの問題の原因を資本主義に帰結しています。
資本主義が、男女の役割を設定してしまっているとのことです。
この点については、私は見解が異なります。
経済的に幸せになるためには、「自分のやりたいこと」と「社会(市場)が求めていること」が一致する必要があります。
トランスの方の場合には、まず「自分のやりたいこと=性認識の一致」に大きなコストがかかっています。
また、「社会が求めること」のうち、性認識の部分でも大きな隔たりがあり、その差を克服するのにも、莫大な努力が必要です。
性的な役割については、社会的な理解が深まれば、隔たりは減少していくものと考えています。
一部のタレントのように、うまくふたつを一致させられた人は幸せです。
けれども、このふたつを一致させることは、シスジェンダーも含めた大半の人にとって難しいことです。
これらの問題を解決することは簡単なことではありませんが、今後も目をそらさずに考え続けたいと思います。
また、この投稿はトランスの方が迷惑であるとか、マイノリティだから仕方ないという趣旨ではないということは、最後に改めて強調したいと思います。